2000/8/22


木更津磯釣クラブ




クラブ発足の経緯について

 私たちの木更津磯釣クラブは、1967年木更津地区の有志によって設立されました。事の始まりは有志数名で、八丈島へ釣行に行く際クラブ名も無いと恥ずかしいなーからスタートし、木更津の人が多数だったので安易に???「木更津磯釣クラブで良いや」と決まってしまいました。その後全磯連関東支部に所属し、私も時々弥生会館まで出かけた事を思い出します。そうそう ある時木更津より出かけ、右折禁止の場所を無視して(銀座方向より第一京浜の浜松町交差点を大門方向)曲がり、即ピーッピーッ!と停められましたが、「田舎から出てきたのですみません」と謝ると、警察官が気をつけて行きなさいと言ってくれた良き時代もありました。(私は東京で4年間遊んでいましたので、承知の上でやりました。「すみませんでした」)
 1975年に関東支部役員の皆様の暖かいご協力のもと、現在の東日本支部が誕生いたしました。当時の支部運営会議は、千葉市の椿森陸橋近くの民家をお借りしていましたので、月に一度は千葉通いをしていました。この民家が大変老朽化が進み、今にも崩れそうな処にみんなが集まって、口角泡を飛ばしたことが大変懐かしく思い出されます。
 木更津磯釣クラブの初代会長は、木更津市貝渕在住の吉玉氏がまとめていましたが、仕事?の関係かあまりクラブ活動をされなかった為、二代目会長に荒井氏が就任されました。荒井会長は大変リーダーシップがあり、私も荒井会長の下で多いに勉強させていただきました。その頃から木更津磯はまとまりがあると評価されるようになり、東日本支部からの要請で木更津磯のクラブ員が出向し、支部運営にも携わるようになって行きました。荒井氏が東日本支部の副支部長を仰せつかったのを機に、私に会長という大役が回ってきましたので、先輩諸兄を差し置いて推挙されたことは、大変悩みの種となりましたが(当時私は32歳)荒井氏を始め先輩会員のお力添えのお陰で、どうにか今日まで頑張る事が出来ました。その間、入会した会員や(木更津警察署員もいました)自然退会した会員等、あっという間の30有余年でした。又、木更津磯釣クラブより巣立ち自分でクラブを結成した方もありましたが、お互い磯釣が大好きな人たちですから、和気藹々と楽しく釣りに行きましょう。

クラブの活動について

 木更津磯釣クラブの会員は、21歳〜7?歳までの幅広い年齢で構成され、三度の飯よりも釣りが好き(好きだった)な人の集まりで、現在の会員数は23名の大型クラブとなり会員の居住地エリアは、北の印西市から南は天津小湊町に至っております。
狙う獲物も多種多彩で、イシダイ・クロダイ・メジナ・スズキ・ヒラスズキ・アイナメ・夜メバル・おまけに冬場のヒラメ等、一時間も車で移動すればたいがいの釣り場へ行けるのも我々の利点といえます。当クラブのホームグランドは、春先は南房総の川下地区及び外房の勝浦地区、夏から晩秋にかけては鴨川の太海地区と、千葉県特有の潮流の作用を、過去の実績をもとに月例会を行っています。特に川下地区は年間(日曜日のドロタ渡礁権利)5回の予約釣行が確保されていますので、非常に期待の出来る例会となります。
 又、釣り人家庭における家族の断絶を解消すべく、当クラブ独自の(海浜バーベキュー)家族会を3月に実施し磯のシーズンインに備え、8月の第一日曜日は少年少女婦人釣り大会(木更津沖堤防)へも多くの家族が参加し、親子のコミュニケーションを図り、秋からの再スタートに備えて行事予定を作成しています。特筆すべき点は、最低でも年に一度は、東日本支部が主催する離島大会(三宅島)へも多数参加し、それなりに釣果を??あげています。(当クラブの年間予定は別表に記載)
最後に木更津磯釣クラブの基本理念は「一に安全・二にマナー・三に釣果」です。釣り場で迷彩服に合いましたら宜しくお願いします。

文責 木更津磯釣クラブ 会長 平松 三男